私の第二子誕生ストーリー

子育て

こんにちは!SHiNです。
本日から子育てや自身の学びに関する情報を発信していきます。よろしくお願いします。

 私は、情報通信会社に務める30代のパパです。
妻と1歳の子どもの3人家族でした。
嬉しいことに、先日第二子が誕生し、4人家族になりました。

 一人目のときは、コロナ禍での出産であったため、残念ながら立会はできませんでした。
今回は、配偶者のみ立会が許可されていたので、出産の日を楽しみにしておりました。
しかし、出産予定日まで1ヶ月を切ったときに、立会できなくなるかもしれない事態に陥りました。
今回はその時の体験談を書きたいと思います。

急な体調不良

 会社からの帰り道、急に体調不良を感じるようになりました。
帰宅してから熱を測ると、37.7度。微熱でしたが、寝れば治るだろうということで早めに就寝。
しかし、翌日も翌々日も発熱は続き、39度を超えてきました。

 3日ほど熱が続いたので、発熱外来に行きました。コロナやインフルエンザの検査をしましたがいずれも陰性でした。解熱剤をもらいしばらく様子を見ることに。

 さらに2日ほど40度の熱が続きました。風邪をひいたときなど、体温を上げるために、体が震えることがありますが、今までにないくらい、制御できないほど全身が震えて身の危険も感じました。
そのため、近くの町医者ではなく、大学病院で検査してもらうことにしました。

検査の結果

 大学病院でも改めてコロナの検査をしました。結果は陰性。。。
続いて内科を受診して、血液検査やレントゲンの検査をしました。この時で、すでに病院来て数時間が経過していました。
40度の熱を出している状態での数時間はかなりきつかったです。

 再度、診察に呼ばれてみると、先生や看護師が慌ただしくしていました。説明を受けると、どうやら血液検査で炎症反応が異常値を示しているとのこと。。。
CRPの値が30を超えていました。
調べてみると、CRP30の値はかなり危険なようです。

CRPが4を超えたら自宅内安静加療、10を超えたら大事をとって入院したほうがいいでしょう。20を超えたら病院内で個室管理、30を超えたら生命の危機が訪れていると考えています。

https://shimonagaya.com/crp.htm

 すぐにCTをしましょうということで、さらに検査をしました。結果として、体内に膿瘍ができていたことがわかりました。
 先生の説明では、場合によっては命を落とす危険もある病気のため、すぐに治療しましょうということで、即入院となり、翌日膿を出す治療をすることになりました。

 この治療は時間がかかるようで、入院も1〜2ヶ月はかかるかもしれないと言われ、先の見えない闘病生活が始まりました。

入院と家族

 入院の翌日には、ドレナージという膿を出す治療をしました。治療後、熱は37度台まで下がったものの、38度台まで熱が上がることもあり、なかなか平熱に戻ることはありませんでした。

 一方で、急な入院となり、残された妻と子どもは二人での生活が始まりました。出産も近いというのにワンオペ育児で大変苦労をかけたと思います。
妻の実家に頼れる時は、実家に泊まったりしていましたが、毎日頼るのもそれぞれ都合があり難しい状況でした。そんな中、切迫早産気味になり、安静にする必要がありました。
 二人での生活は限界ということで、私の母を家に呼ぶことにし、母と妻・子どもの3人での生活を始めました。1人目が生まれたときも、母が泊まりに来ていたので、一緒に生活するのは初めてではないですが、嫁姑問題がなくて本当に良かったと思っています。妻にも母にも感謝です。

 
 家庭の方は、なんとか安定しましたが、私の方は同室の入院患者がコロナ罹患者だったのか、濃厚接触者として、5日間隔離され病室から出られなくなりました。面会もできなくなりました。子どもは、元々病棟には入れなかったので、テレビ電話で忘れられないように会話していましたが、会えないのは寂しかったです。

 熱もなかなか下がらない日が続きました。
そこで、再度ドレナージをし、チューブを入れることで膿を出し続けることになりました。
2回目のドレナージの治療後は、吐き気が続いており、実際術後すぐに吐き戻してしまったりしていました。そのためか、心電図をつけられて経過観察することに。
膿を出して、チューブを外すのに3週間くらいはかかると思うと言われ、予定日には間に合わないなと思いました。非常に残念ではありますが、命に変えられるものではないのでしっかり治療しようとおもいました。

回復と退院

 チューブで膿を出すことになったのですが、治療から3日程度でかなりの膿がでました。ドレナージ治療の分も合わせると、約200ccほど出たでしょうか。

 膿がでるのに反比例して、体温は平熱に戻りました。隔離期間も終わり、自由に出歩けるようにもなりました。術後、3週間くらいは入院が必要と説明を受けていましたが、体温も安定し、血液検査の結果も良好なことから、1週間もしないうちに退院の目処が経ちました。
 先生から提示されたのは、①チューブをつけたまま退院するか、②チューブを外してから退院するかの2択でした。チューブをつけたまま退院した場合は、チューブが入っている部分を濡らさないように、湯船に入れないくらいで、他に生活への影響はありませんでした。チューブを外してから退院するにはさらに1週間の入院が必要とのことです。

 私自身、すでに元気になっていたことと、入院生活にも飽きており、何より妻や子どもに会いたい思いが強かったので、チューブをつけたままの退院を選択しました。
こうして3週間弱の入院生活が終わりました。

家族との再開

  帰宅してから、まずは妻に退院の報告をしました。やはりかなり心配をかけていたようで、「退院できてよかったねぇ」と何度も繰り返し言っていました。

 子どもは保育園に行っていたので、当日のお迎えにサプライズで行ってみました。入院中もテレビ電話で、毎日顔をあわせてはいましたが、直接会うのは約3週間ぶり。
はじめは、キョトンとした顔で誰だかわかっていないような感じでした。保育士さんが「パパだよ」って言っても顔をそむけてしまってました。
保育士さんたちの中には、泣いている人もいらっしゃいました。私が入院が続いていて、妻も出産で入院となったら、子どもは一人になってしまいますからね。
私もそれだけは避けたかったですし、子どものことを思ってくれて、良い保育園だと改めて感じました。

 子どもを家に連れて帰ってからも、顔をチラチラ見たり、目が合うと照れたりしていました。それもまた可愛いですけどね。
しばらく一緒に遊んでいたらだんだん思い出してきたのか、子どものほうからも歩みよってきました。
入院している間、子どものことを見れていなかったのですが、この3週間で子どもが成長していることを実感しました。

 例えば、積み木を出しては、片付けれる様になっていたり、ものを渡すようになっていました。一番驚いたのが、本の読み聞かせをせがんでくるようになったことです。
入院前までは、親が選んだ本を読み聞かせていたのですが、退院してからは、自分で本を取り出しては親のところに持ってくるようになっていました。
本を読み終わったら、次の本を持ってきては読んでの繰り返しです。先日は保育園に行く前に夫婦で14冊くらいの絵本を読みました。
読む方も疲れますが、子どもの成長を感じられてとても嬉しい瞬間でした。

第二子誕生

 退院して約1週間。出産予定日となり妻は入院しました。
計画分娩のため、私も付き添い、立会をしました。立会用の帽子とガウンを着て呼び出されるまで待ちました。待っている間、この数週間の入院生活や立会できることの喜びを振り返っていました。

 そして呼ばれて手術室へ。椅子に座って、そこからは立ち上がってはいけないと指示されました。手術開始からあっという間に第二子が誕生しました。
とても感動的な瞬間でした。妻には感謝とねぎらいの言葉を送りました。
その後は、体重や身長など伝えられる前に手術室から退席し帰宅となりました。
赤ちゃんを抱くことは叶わなかず、結構あっさりした立会でした。
早く下の子にも会いたいです。上の子もお母さんと離れるのが初めてなので、早く合わせてあげたいです。

最後に

 一人目の出産の際に育休を取得しましたが、今回も育休を取得します。期間は2ヶ月ほどです。入院していたので、この育休期間では、しっかりと体を治すこと、そして何より子育てに専念しようと思います。
家族に心配をかけましたので、この育休期間は家族のために有意義な時間にしたいと思います。

それでは、また。

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